私たちは完璧で無いことに耐えらなくなる
はじめに
最近になって、仕事のやり方が変わったように感じることがありました。基本的には5W1Hを意識した仕事をして、事前にある程度の計画を持って仕事をしていれば文句を言われませんでした。時折、うまくいかないケースがありますが、大体の場合において、問題が発生するようなことはありませんでした。
これまでのやり方と今求められているやり方
ちょっと抽象的すぎるので、具体例を出すことにします。
例えば、ある作業を標準化するために作業手順書を作成することになったケースを用います。
これまでの仕事
まずはこれまでの仕事の仕方です。まず、作業手順書を作成するにあたって以下のような事を考えます。
・誰向けに作成するのか
・なんの手順を標準化するのか
・なぜこの手順を標準化するのか
・いつまでに終えて欲しいのか
・どの程度の粒度で記述するのか
それについて検討した後に資料を作成し始めていました。しばらく書いたら、このままのペースで書いたらどれくらいかかりそうか考えて、このままだとどれくらいかかるかを考えて、作業ペースを決めて取り組んでいました。——それが普通のやり方でした。
今求められている仕事
これから語るのは今求められている仕事です。実際のところ目的がわかっていないため、少し解像度が低い書き方になってしまう可能性があることを事前にお詫びしておきます。
まず、「目次」を作ることが求められます。しかも、目次といっても仮の構成ではなく、「何を書くか」を最初からすべて列挙するのが前提です。
・資料概要
・標準化の目的
・資料の建て付け
・資料の想定する使い方
・前提条件
・前提条件1
・前提条件2
・前提条件3
・前提条件4
・参考資料の一覧
・〇〇の作業手順
・〇〇作業
・△△作業
・××作業
・AAの作業手順
・作業手順1
・作業手順2
・〇〇の手順書に必要と思われる別紙
・AAの作業手順に必要と思われる別紙
まずはこれについてのレビューがあります。そこで抜け漏れがあれば、指摘されて再度作り直しが要求されます。場合によってはなぜ抜け漏れが生じたのかの理由を説明する事を求められます。
それを繰り返して、本当に事前に書く内容が完全に一覧化されたら、資料の作成に・・・はまだ行けません。次にやるのは書く資料を作成するために必要な時間の見積もりです。資料の章ごとに所要時間を1時間単位で見積もることになります。何を書くかが全てわかっているのだから、もうどれくらいの時間でかけるかを事前に予測することが出来るだろうということです。
スケジュールの妥当性について、疑義が生じるともっと詳細な手順を作成し直して、スケジュールが妥当であるという評価が下るまでこの作業は続きます。
ここまでやって、作業を始めることができます。
なんで仕事のやり方が変わったのか
端的にいうと、各々の作業の遂行能力に疑念が生じたのだと思います。初めは一部の仕事が遅かったり、業務品質が悪いメンバーに対してだけ行われていた試みはすべてのメンバに行われるようになってきました。比較的うまくいっていたように見える私にも疑問を呈するようになった。
AIは抜け漏れが少なく感じる
リーダーの人員は変わっていません。しかし、同じリーダーとは思えないほど仕事のやり方が変わってしまいました。仕事の遂行能力に問題がないメンバーにも厳しい事前準備を求めるようになったのです。
ここのところあったことで変わった点があるとすれば、リーダーが AIを仕事に活用し始めたという事です。
AIに標準化のための手順書を作成するために必要な手順を列挙してください。
といえば、きっと必要なことはすべて事前にわかっている状態が作れます。そしてその回答を元にその資料を作成してくださいといえば作ってくれます。
AIの仕事ぶりに慣れてしまったら
リーダーは個人的に AIを活用しているだけで、社内規則で私たちは仕事に AIを使うことができていません。
AIは事前にやる事をすべて列挙できる。このときに抜け漏れがあることはほぼ無い。
一方で私たちが何を書くかは事前にわからないし、抜け漏れがあることがある。
おそらく、曖昧さに耐えられなくなった。漏れがあるというリスクに耐えられなくなったのだと思いました。
そのために スケジュールを超えてしまうかもしれないというリスク、どんなものができあがるのかがはっきりとわからないリスクを過剰に不安視し始めたのだと思いました。
私はとっくに AIに代替されている気がする
たまたま職場で AIの利用が制限されているため私は AI失業していません。
しかし、管理職が AIを利用し出したら、ここの作業員に頼まないほうがいいと考えるのでは無いかと危惧しています。
AIの仕事ぶりに慣れたリーダーやマネージャーがいたら、成果物を出力するまでのプロセスを明瞭化する事を求めるようになりました。また、人間の目視確認を一切信用せずに、資料を自動で確認するツールを作る事を求められるようになっています。
私たちは機械的な正確性を求められているのです。
もちろん、機械ほどの正確性はないため、私はお役御免な可能性が高そうです。
さいごに
AIが職場に直接導入されていなくても、それを使う「一部の人たち」が、仕事の進め方の基準を変えてしまう——そんな現実を実感しています。
人間が仕事を進める上で、曖昧さや即興性、途中での気づきがあるのは当たり前です。でも、AIの精度に慣れてしまった人たちは、それを「準備不足」や「ミス」と見なすようになっています。
もちろん、「最初に全部わかっていれば抜け漏れは起きない」という理屈は理解できます。でも、それを人間に要求するのは酷なのではないでしょうか。
私たちは完璧ではありません。けれど、その不完全さを許容できなくなった社会に、少しだけ息苦しさを感じるのです。