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アルファコンプレックス

arthur

幸福は義務・・・に感じる

私が定期的にみているサイトに以下のような記事が投稿されました。
「しにたい」がBANされる社会はユートピアであり、ディストピアでもある | Books&Apps

この観点でみると、社員を守るはずのストレスチェックが「ユートピア」的にみえてしまうことがある。厚労省主導のストレスチェックは、表向き、社員の福利厚生を守るためのものだし、実際、それに救われた人も少なくない。

しかし本論のアングルから眺めると、ともあれ職場に居続けたいならストレスチェックに合格できるよう回答しなければならない、とも言える。本当はしにたい気持ち満載な人や、もともと気難しくてイライラしやすい人も、職場で働き続けたいならストレスチェックをパスしなければならない。

私はすでにこのような感覚を憶えている。最初は小学校だったか中学校あるいは両方だったかもしれない。正直な感想を述べたら、もう少しましな感想はないのかという旨のことを言われたと記憶している。昔から私はネガティブな感情を抱く傾向にある自覚がある。人当たりもよくないため、周囲ともあまりなじめていない。
かろうじて、自分の率直な感想を言ってよいかを判断する分別とそういう時に何と言えばいいかのレパートリーは用意することができている。

ある種の人々にとってはディストピア

ディストピアとはユートピア・・・理想郷の反対な暗黒世界を描いた作品を表す言葉です。基本的には機械的な超管理主義的な体制が敷かれていて、反人間的な面を巨徴した未来社会ということが多いです。有名なところで言えば小説なら1984、すばらしい新世界。映画ならブレードランナー、マトリックス。アニメならサイコパスがあります。ゲームならDetroit: Become Humanもディストピアを描いているように思います。

閑話休題。これらの作品を見てこのような世界になったら恐ろしいという感想やもうすぐこうなってしまうというような言説がたくさん見受けられました。
私はこの危惧について違和感を覚えたことに驚きました。私はとっくにそういう社会になっていると思っていたからです。
ストレスチェック、何かの感想、他人に対する評価、これらは私にとってはポジティブな意見を強要される場です。具体的にどのように編み出したのかは自分でもわかりませんが、どのように答えれば前向きで建設的な意見になるか母だ感覚で理解しています。
私にとってはとっくに本音を話せない社会になっているのです。でも、Twitterで暴走しているところを見るときっとそう思っているのは私だけではないのではないかと思うようになりました。
そう、ある種の人々にとってはとっくの昔にこの世界はディストピアになっているのです。

半ディストピアでの立ち振る舞い

もちろん自分の本音で話すことが重要で、自分の考えを貫けばいいんじゃない?それで評価されなくてもいいじゃん。もっともですが私にはあまりに残酷すぐます。
今回の例で言えば、ネガティブな感情は改善すべき問題として扱われ、本音を語ることで社会から排除される恐れがあります。また、率直な感想を持つ一方で、こういう場面で一般人はどのような考えを持つかを考える先に挙げたディストピア小説の特徴的なワード「ダブルシンク」を強いられいている気分である。

はい。ここはユートピアです。

はい。日本はユートピアに近い国家です!ストレスがたまったら仕事から解放してくれるし、ポジティブな意見を言いさえすれば評価はしやすくなります。適当に返事をしておきましょう。レビューでも指摘をしてはいけません!みんな頑張っているんですから頑張りを認めてあげましょう!
冗談はさておき、日本は他国と比べれば、簡易に衣食住にありつけます。ある程度の一般人の感性を身につけておけば、多少は生きやすくなります。私は限界を迎えてしまった感がありますが・・・。

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