みなに幸あれ
幽霊もモンスターも登場しないホラー
みなに幸あれは日本ホラー映画大賞を受賞した作品の長編版です。大賞に選ばれただけあり、ジャパニーズホラーのじめっとした感じを味わうことができました。
レビューを見る限りかなり賛否が分かれそうですが、ジャパニーズホラー的な演出を求めている方には映像作品として評価できると思います。
日本のホラー映画といえば、リングや呪怨のような怨霊や化け物が登場する恐怖演出が思い浮かびますが、本作にはそう言った存在は登場しません。私には表現することが難しいのですが、登場人物の言動や行動といった雰囲気でゾッとさせるような演出をしています。
ところどころでかなりグロテスクなシーンがあるため、心臓が弱い方にはお勧めできないも知れません。
社会派なホラー
ここから先はネタバレを含みます。
この作品の感想を見ると作品のテーマ性について論じている方が多数いるように思います。私もこの映画を見ていて、似たような感想を持っています。
資本主義、功利主義、トロッコ問題などと絡めて、社会に対する風刺的を表しているとする考察が多く見受けられました。おそらく、この映画のモチーフになったのはアーシェラ・クローバー・ル=グウィンの「オメラスから歩み去る人々」だと思いました。
オメラスから歩み去る人々
風の十二方位という短編集にオメラスから歩み去る人々という作品が載っています。
この作品はオメラスという平和で豊かなユートピアについて描いた作品です。このオメラスには飢えも差別も苦しみもない。誰もが羨む素晴らしい国です。
ただ、オメラスには地下牢があり、そこには痩せ細り汚物に塗れた一人の子供が鎖に繋がれて監禁されています。オメラスの繁栄はこの子供が犠牲になることで実現しているそうです。この子供に対しては気をかけたり、綺麗にしてあげるなど些細な行為をするだけで理想郷は終わってしまう。
地下牢に子供が監禁されていることはオメラスの人々は知っており、オメラスの子供は成長し、犠牲の意味が理解できる年齢になると地下牢のことを教えられます。
教えられた人々は苦しみ、憤慨する人もいますが、監禁されている子供は知能が劣っているため状況を理解していない。あるいは解放してもすぐに死んでしまう。解放しても幸せになることはないと自分に言い聞かせて納得します。
しかし、まれに犠牲にしているという事実に耐えきれずにオメラスから姿を消す人々がいる。オメラスからさった人たちがどこに行ったのかは誰も知らない。
これがオメラスから歩み去る人々です。みなに幸あれによく似た設定であることがわかると思います。
現在の幸福は誰かの犠牲によって成り立っている
孫は今の生活が成り立っているのは祖父母によって監禁されている人がいるおかげであることを知ります。そしてオメラスで地下牢のことを教えられた人々のように葛藤をします。
犠牲を払うことを良しとせずに家を飛び出したという親族を探し出しますが、その人物でさえ、誰かを犠牲にする生き方から逃れられなかったことを知ります。
最終的に孫は誰かを犠牲にする生き方を受け入れ、幼馴染の男性を監禁することになります。その結果、家族は元に戻り、幸福な日々に戻っていきます。
テーマはシルバー民主主義?
この映画は資本主義を批判している作品なのか、あるいは功利主義を批判する作品なのか?
おそらく私はシルバー民主主義を批判しているように感じました。その理由は以下の描写があったからです。
・映画の冒頭トラストで孫がお婆さんを助けるシーンと最後に同じお婆さんを助けることをしなくなったことの対比を描いている
・もう子供を産めなさそうな祖母が新しい子供を出産している
お婆さんを助けなくなった
主人公は映画の冒頭で道ゆくお婆さんを助けてあげるシーンがあります。このシーンで助けてもらったお婆さんには以下のようなセリフがあります。
「ごめんめ。私たち年寄りのために若い人が犠牲になって」
「みんな、あなたみたいな人だったらいいのにねぇ」
そして、自分が幸せになるための犠牲を受け入れた主人公はこのお婆さんを助けることをしなくなります。
祖母の出産
妊娠することがすでに難しそうな祖母が子供を出産するシーンがあります。つわりがあるようで妊娠を思わせるシーンもありましたが、一見すると突飛で何が起きているのか分からないシーンです。
しかし、老人である祖母と祖父が新しい子宝に恵まれるというのは犠牲の果実を老人が得るということを表しているのだと思いました。
とはいえ犠牲の果実を得ているのは老人だけではない
シルバー民主主義に批判というのは考えられる可能性の一つです。なぜなら、犠牲を受け入れて日常を享受している若者もいるからです。
犠牲を払うことをやめた家族はすぐに平穏な日常を過ごすことすらできなくなっています。また、主人公の家だけでなく、他の家も人を監禁していることを普通に受け入れている。それどころか、犠牲を払わなくてはならないという事実を受け入れないでいる主人公をバカにする人々さえいました。
これらの描写はこれまでに登場した一見して平凡な日常を過ごしているような人々もみな犠牲を払っていることを示しています。つまり、どの家庭も誰かを監禁して日常を享受していることを示しています。
「日常や幸福を享受するためには誰かを犠牲にしなければならない」という一貫しています。この内容からは確かに資本主義や功利主義に対する批判と捉えることもできます。
いずれにしても
いずれにしても、みなに幸あれはジャパニーズホラー特有の不気味な演出、何か考えさせられるような社会的な描写を味わうことができる素晴らしいホラー映画だったと思います。
目を背けたくなるようなグロテスクなシーンはありますが、それだけで嫌厭するのは勿体無い作品でした。