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時事

投票権の資格をもたせるべきか

arthur

投票権に資格を持たせるべきという考え

以下のような考え方から、投票を資格制にするべきだという考え方があります。
・これは有権者が合理的に投票行動をするわけではない。
・民主主義は多数決だけで決められるのは不合理である

投票の資格化は主にポピュリズムへの警戒感から唱えられているように思います。
2025年夏の参院選で台頭した政党の中にはそれまでに存在していた政党たちよりも国民の窮状や不安に寄り添う政策を掲げていたように思います。これらの政党は財政的な裏付けや科学的根拠のない主張をしていたものの得票数を伸ばしました。
一方で財政規律を守る責任政党である自民党は初めて過半数を割り込むことになりました。

これを指して、ポピュリズムの台頭と言われています。
投票を資格制にすることでこれを防ぐことができるとしているのです。

投票が資格がもとめられるようになったら

資格を認める判断基準にはいくつかのものがあります。
納税額、政治についての知識だとすると富裕層、高学歴であれば有利になります。
そのとき、政治家が富裕層、高学歴に受ける政策をとるようになりそうです。
そうなった場合、投票権者たちに対するポピュリズム政策が打ち出されやすくなりそうな気がします。

また、特定の政党が投票権を得るための勉強会のようなものを開くようになって、特定の政党にオルグされたような有権者が増えることが予想されます。
そして、投票する資格がない方たちは不満と分断を深めていくでしょう。

結局、少なくなったパイの中で大衆迎合的な政策がとられるようになり、今よりもより組織的に有権者の囲い込みが行われるのではないかと思います。
もしかしたら、富裕層・高学歴層に対するポピュリズム政策を打ち出しても、流されない真に合理的な有権者になるのかもしれませんが・・・。

いずれにせよ私には投票権が与えられないだろうなという思い

いずれにしても、このような事態になったら私には投票権が与えられないだろうなと言う諦念があります。私はお世辞にも頭がよくありません。また、中学校不登校で高校は総合化の定時制だったため、公立の授業を受けたことがありません。
また、財政が経済学が、行政が、現代の政治のテーマはいずれもついていくことができません。また、情報を収集するだけの時間が全く足りない。少なくとも労働と両立することができない。
そんな私では投票権が与えられない側の人間なのだろうなということが予想がつきます。

さいごに

投票にちょっと考えてみました。
結局のところ憲法で制限のある参政権の保護を保証しているため、投票権の資格化は実現しないだろうなと思います。憲法を改正するためのハードルはそれだけ高い。にもかかわらず、自分たちの権利が奪われる形での改正が国民的理解を得られるとは思えないためです。
まぁ、若者は老人から投票権を取り上げあるため、老人は若者から投票権を取り上げるために協力した結果、改正が実現してしまう可能性もあります。
もしかしたら、投票権の資格化の第一歩は価値観や世代間の対立にあるのかもしれません。

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